小説ではねえんだが…。
働きたくない、とこれが自分の本音かどうかもわからなくなっている。働きたくないのはある症例における中途の段階で、深い所に真実の顔をして別の意欲が潜んでいるんじゃないか。なんて思う。これは、私が死にたいと口走る衝動を看過してきた結果、あるとき、ほんとうは死にたいとは思っていないのでは、と疑ってしまった経験に即す。
例えば、働きたくないのではなく、死にたいのではないか? なんてね。……
Googleの検索欄に「働きたくない」と入れる。
「働きたくない人に向いている仕事」などという、どんな馬鹿ならこの詭弁に引っかかってその記事に挙げられた職種に就こうとするのか訝しい情報その他色々が表示される。働きたくない気持ちはわかるよ、と同調してほしいわけではない。働きたくないと感じる原因を指摘して、条件に照らしながら、それに抵触しない仕事ならできるよねと提案してほしくもない。働きたくないと主張している当事者でない何者かの言葉は雑音である。
親切心を塗りたくった顔で話しかけないでください。切れますよ。
労働美徳観念。
嫌いだ。吐き気がする。
この段落はこれ以上時間を掛けて手直ししても、大した出来にならないだろうから簡素に済ます。冷静じゃいられないのだ。金、金、金金金金金金、金。今まで死に走らなかったことが不思議だ。生活を続行するには課金が必要だという、このシンプルな構造が、ちっとも納得できない。
ニーチェを考えたい。赦してください。
https://lfk.hatenablog.com/entry/2014/10/25/052612
https://repeater1990.hatenablog.com/entry/2021/10/26/215317
https://note.com/kei_aikawa/n/n4edd6eb2f714
読めよ…。