五ミリ方眼のノートの見開きが文字で埋まった。僕はある程度の満足を感じ、湿った目元を乱雑に拳で拭う。紙面に散らばった消しカスを机の下へ叩いて落とすと、そのノートを小脇に部屋を出た。
階段を下り、玄関でサンダルを突っ掛ける。風が髪を揺らすのを感じるが、色も匂いも季節感もわからない。感受性の鈍っているのか端から乏しいのか、働きの悪いのを呪う気持ちになりながら、僕はある場所へ向かう。
母さんの駐車スペースは、途中で仕事から帰った母さんが車を停められなくて困ることになるし、リビング前のコンクリート製の台(テラスというには無味乾燥の一畳ほどの広さの高みだ。地面から十五センチくらい上がっている)に腰掛けているには僕の自意識は高すぎるのだった。というのもそこに座っていると、帰ってくる家族が必ず通過するのだ。集中して考え事をするには不向きで、それは僕が人目を気にするからだった。
僕は母さんの駐車スペースの脇にある芝だかクローバーだか、それ以外の草なのか知らない緑の植物が絨毯然として生えている一角へ歩く。ここには大工用の足場と思しきパーツで、縁台じみたものが作られている。父さんが作ったのだとは思うが、縁台のつもりで作ったのだろうか。
まあいい。
僕は鉄製の網状の板が渡してある座面にサンダルごと上がり、胡座をかいて腰を落ち着かせてから、ノートを開いた。風がすうすうと吹いていく。
「結論、消えたいんだって?」
「うん」
「死にたいんじゃなかったっけ」
「前から死にたいわけじゃなかったんだ。言葉がわからなかった。生と死は相反するって考え方が当然のように身近にあって、つい有り合わせに手を伸ばしただけ。消えたいのかどうかも本当のところはわからない」
「ふうん、それで、死ぬにしろ消滅するにしろ、願う行為は」
「現実逃避。知ってる。わかってる。僕は自分をリセットしたいんだ」
「リセットしたって誰が気付くのか、考えたか? お前が死んだ後、死んだことを判断できる自分を想定していないか? 消えたらお前を俯瞰するお前ごと、消えるだろう? 望みが果たされたことを自分で見届ける方法があるか?」
「……死ぬなって言ってんの」
「さあ」
「死ぬ勇気も努力もないし、僕はこうして怒りを覚える筋合いはないんだけど。死なないことがすなわち生きている状態を指して、生きていることがその概念だけで僕を苛むのだから、死ぬなって言われると、生の崖っぷちに押し出される感じがして、そう」
「殺してしまえばいいよ。自分を崖から落として、殺してしまえばいい」
「…凶悪だ。怨霊に憑かれたらどうするのさ」
「そのときはまた、ここに来ればいいんじゃないのー?」
「わかった。…その前段階で手こずったら、ああ、いや…何でもない。じゃあ、またいつか」
僕はどんどん暗くなる天空を仰ぎ、芝を踏み、庭を横切った。リビングには照明が点いている。妹が帰っているのだろう。自室の扉を閉める。ベッドに体を投げ出す。この衝撃で首の骨が折れればいいのにと思った。
まだこんなこと。
有り難いね、生きていて。母さん辺りが言いそうな台詞。
全く、本当にその通り。生きているから死ねるのだ。
僕はのそのそと上体を起こし、窓を開けた。迂闊に網戸まで開け放つと蚊が入ることを学習していた。しかしここで開けなかったら決意が足りないのではないか。
引き裂きたくなった。枕元にナイフがある。掴んで網戸を、ないし自分の首元を。
堪らない。酷い。解決しない。気分が悪い。いっそ食事も水分も受け付けないくらいに吐いてしまえれば。涙が滲んだ。
僕は、僕を消したいはずなのに。
月が半分の形で光っている。
死なない。
夜ご飯は温かかった。気分が悪い。