創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

鈴の音

 働きたくないと言った。たしかに言った。そうは言ったが、どこかに言葉の綾である匂いをさせていた部分もあったと思う。本質的には、働きたくないのじゃなく、金を行動原理に据えて人間に衝突しに行くことの歪んだ生存本能が不愉快なんだよと、補足のように答える。論点をすり替えているのかどうかの判断がつかない。働くという単語が、賃金労働を指すのなら、論点ずらしは起きていない。
 夜中に目が覚める。癖みたいになって、朝まで目を覚まさずいられた経験の方が少ない。直近一か月では、一日も無かったと記憶している。眠り直すのが苦しいとは、さほど感じない。寝付けないのなら寝なくていいと思うようになってから、暗闇でゲーム実況の続きを見ることに躊躇わなくなった。目がひりひりするほど痛むこともあるのだが、痛い痛いと呟きながら、改善しようとは微塵も考えていない。私にとって外部からの情報の過半が視覚を重視していることを、正しい重量感で弁えていないようだ。
 今日は小春日和だった。明日からは雨が降り、気温も下がるので三寒四温というやつだが、今日は暖かかった。家中の扉や窓を開放して、私は布団を天日干しして、幾分か心も晴れた。母さんに、私の布団を干すスペースは計算外であったと咎められた。この前日だったか、布団を干すように言われていた。その日に済ませておくのが筋だったらしい。果たして、布団を干す場所は足りた。だから今反省する事はないだろう。
家中を換気するに際して、飼い猫の扱いが話された。私は布団の中で聞いていた。まだ睡眠中の扱いだった。猫は解き放たれることに決まり、この時を最後にして、一日弱が経過した現在まで、飛び出したきり帰っていない。聞くところによれば尻尾を膨らませて出ていったとか。それは興奮しているときに見られる反応なので、私はそれを聞いて、仕方ないか、という気がした。普段家から出ないように試行錯誤されていた猫である、野山に混じりて家猫を辞めても本猫の自由であろう。などと、世話に携わっていない人間が言うのは不躾だろうが。
 件の猫が帰らないので、日が落ちる直前に妹と探しに出た。痺れを切らした妹は、これまでに逃走した猫を捕えた地点を通り、どんな観点で選んだのかわからないアスファルトの上を歩き、結局見つけられなかった。姿を捉えることも叶わず、所有者のわからない鳴き声だけが聞こえた。猫のものに聞こえた。私は山の方を指差したが、妹は反対の竹林を指した。自信がなくなったので曖昧にしておいた。一度引き返して家に戻ると、他の面々も表へ出ている。妹(三女)は離脱し、今度は次女と父さんに着いていく。私が猫の鳴き声を聞いて指した山へ入った。この山へは初めて行った。かれこれ十五年はこの家で暮らしていて、間近な場所にも未踏が残っている。轍が刻まれた山を歩きながら、視力の悪さを思い知った。自然風景を堪能できない残念を感じた。次回ここへ来るときは眼鏡を持参しようと決めた。夜中、眠れないときは僅かでも灯りを用意しようと思った。
 猫は帰っていない。殆どどうでもよかった。次女は猫の解放に否定的であったと匂わせる態度で、僅かに解放者への怒りを露わにしたが、見ている限りでは致命的な精神ダメージを負ってはいないようだ。三女は私らが山を歩いている間にちゃっかり風呂に入っていた。言うほど大事でもないのかもしれない。
最近、猪の罠に掛かった猫がいるらしい。近所の飼い猫だという。母さんが、明日も猫が帰らないようなら、その家へ訪ねて罠の場所を聞いて探しに行くよう私に言った。それは、嫌だった。探しに行くのも面倒かつ徒労の可能性があり意欲が出ない。それだけなら兎も角他人に伺いを立てに行くのは絶望的に嫌だった
働きたくない、と、他人に会いたくない、がイコールで結ばれ、嗚呼、明日も、布団から出ないように粘るかな。