創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

外灯

「今夜はどこに泊まるの?」

「選んでいいよ。ここらは選択肢が多いから」

幼稚園で指定されている帽子、浅いつばがぐるりと付いている黄色いあれ、を右手で目深に引っ張り、つばの影から年相応に大きな眼が私を見上げる。その視線を避けるようにして私も同じ方向を振り仰ぐ。青空を直線的に遮るビルの群れが広がっている。

高い所に泊まりたいとの答えだったので、見えていた東◯インを目指す。手を引いて歩いた。この子は多分甥だと思うが、確認は取れていない。あの日、偶然呼び出されていた妹の所で初対面を果たした。妹が子供を産んでいた話は、聞いたような聞いてないような曖昧で、この甥の見た目は幼稚園の年長頃のようだから、約六年以上、私と妹は碌な連絡を取っていなかったことになる。

「喉渇いた」

「公園行こうか。水飲み場があるだろうし」

私の家の近所の公園には無かったが。ここは都市めいているから設備も豊富と期待する。水飲み場が無くともトイレの水道を使えばいい。私の家の近所の公園には、トイレも無かった。

 

高所から街を見下ろせるが、自動車のヘッドライトも極わずかで、ビルは夜闇に溶けたように真っ暗で、殆ど人の活動というものを感じられない。窓下は定点の街灯が頼りなく灯っているくらいで、可視できるものが無い。

この時刻ならまだ電車が走っていたころだろうなあと思い出してこのビルが触れるほど近い駅を見下ろす。多数のビルがそうであるように、人気も明かりもなかった。

「ね、あーちゃんは?」

甥が尋ねる。床から天井まで窓なので、体を持ち上げてやらなくても景色を堪能できている。外の景色は、私からすれば却って気味が悪いので積極的に見たくはないものだが、彼はそこそこ楽しそうだ。自分の家を目視しようとしている。

あーちゃんというのは甥の姉だ。つい三日前までは三人で歩を進めていた。小学校低学年(であろう)にも関わらず、弟への威厳を保ち弱音を吐かない根の強さ、私は見ていて己の駄目人間ぶりを感じた。自分の妹だけじゃなく、妹の子に対しても劣等感情を抱くとは。自棄っぱちに、自分は独身であるべきだなどと思ったものだ。

そのあーちゃん、私の姪は、甥には急激な体調不良で動けなくなった、というような説明で躱しているが、先日の原因不明な同時多発自然死の余波と思しき現象で、もう息をしていない。

世界で四分の三が死んだらしい。ヤベーパンデミックだと騒いで暴動になるかと思われた、が、情報拡散が積極的になされなかったためか、私の見る限りでは仕方ないオーラが漂っているばかりだった。

独裁者スイッチを押したような世界になった。スーパーもコンビニも肝試しに使える雰囲気に変わり果てた。しかしどの店舗に入っても、一人はいる。誰も彼も必要物資を拝借、というよりパクっている。私も何度かやっている。お互いに干渉し過ぎないよう、会釈を交わしてすれ違うのが常だ。

なぜ私は死んでいないのだろう。機能させられない街を遺産と残されても困るのだ。満足に電気を通すこともできないのに。ああ、インフラが死んでしまうのも時間の問題じゃないか。公園の水飲み場で賄えなくなる日が来る。照明は無くても昼間にだけ活動するようにすれば対応できるとして、水は死活問題だ。水源のある場所へ行かなければ。

……。死なない方法を考えていた。私はまさか死にたくないというのだろうか。いや、違う、きっとここに幼い甥がいるからだ。保護者の責任が芽生えているだけなのだ。違いない。

「写真撮って」と甥が言うので、注文通りに撮影した。夜景をバックに撮影ポーズを取る甥を中心にした写真。夜景というのがあまりに暗すぎて、明るくした室内が濃く反射している。スマホを構える私が映り込んでいる。こんな写真でいいのかと問おうとしたが、甥は既にテレビのリモコンに集中していた。テレビ番組はあらかた淘汰されて、子供が見たところで面白いとは思えないだろう内容しか放送されない。時間帯も予測不可能になり、独り者のホームビデオが流れるのが関の山である。自分を見ている気持ちになる。スタジオがやけに明るいせいで、登壇者の抑鬱気味が浮き彫りになっている。

「眠い?」

甥は答えて、眠くないと言ったので屋上への扉を探してみることにする。当然鍵が掛かっているはずなのだが、蹴れば壊せるんじゃないかなんて考えたのだ。私は左足の土踏まずに強い痛みを修得し、すごすごと元の部屋に戻った。甥は今一度全面ガラスの窓に張り付き、真っ黒に侵された街並みを見下ろしている。

カーテンを閉めて眠った。

 

くそ死にてえ、と思った。冬が近い。衣替えをする必要がある。寒さ対策をして、越冬…。私は、また死なないつもりでいるのか?

今度こそ完全に独りなのに。

夜景を背景にして写真を撮った翌朝に、目覚めなかった甥をベッドに横たえたまま外に出て、私は尚もずるずると生き延びている。どうして私は連れて行ってもらえないのだろう。人口の四分の三が選ばれたのに。

そういえば犬猫がその辺を歩いている姿を頻繁に見る。特に犬は野良を見たことがこれまで無かったから、なんだか終末の感が身に染みる。コンビニに入ったら、レジカウンターに入って項垂れる人間がいた。スーツを着ている。パイプ椅子の上で、何を内省しているのだろう。その目に光はない。私と同じだと思った。

甥の被っていた黄色い帽子を頭に乗せると、自分が子供ではないことがよく実感される。とても入りそうにない。無理にあご紐を掛け、死ねない程度の呼吸のしづらさと共に、歩いた。地名は決まっていない。だが目的は知っていた。言葉にすると、自己嫌悪する、そこへ向かってまた一歩進む。

今日も青空が上空を満たしている。