創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

道程開示

人に読ませられるだけの解読可能を持たせられるか不安はありますが、なるたけそれが叶うように調度して書くつもりです。

 

地平線が見たいような、そんな気持ちです。地球の形を漠と感じたいのかもしれない。案山子のように足を地面に生え忍ばせて、ぐったりするほど広大な時間を棒立ちに眺めたいような。

その論題がネガティブでないと、思考する気になりません。自己肯定感は夢のようです。いつそんなものをものにしたことがあるのか。記憶にありません。そしてそれは不要です、あったら出来た事などできなくても構わないので。死ねばいいのだから。死ねるだけの残力があれば充分すぎるほどなのだ。

明確に壊れている印がほしい。涙が止まらないとか、何日も眠れていないとか、飯食う気がなくなったとか、好奇心が死んだとか。誰の顔も見たくないとか、自分の生身が醜くて鏡を見れないとか、自分の声を聞きたくないとか、対人して悔いを残す発言を回避せんがために誰とも関わりたくないだとか、あるいは、簡単に出血するとか。素材がなんであれ鈍器としての利用価値のあるポエムをかいて、二階から、窓下の自分の頭頂に自由落下で攻撃したい。

死にたい。

病院は、その名前通り病気を集める場所であり、治癒が果たされる保障はないのでしょうか。行くたびにノシーボが付与される場所に通うマゾヒスティックを、私はいつまで続ければよいのですか。私は金出して病気になろうとしているのですか。精神性が悪化するやるせなさを理解できますか。「元気です。好奇心があります。投資の勉強をしています」と話してその晩寝たら、やる気がなく、投資が金のために金を稼ぐ行為でしかなく、虚脱に値する錯綜と判り塞ぎ込む翌晩が訪れます。

その翌晩とは、今晩である。

前向きの心で話したことが、オセロの駒をひっくり返すように嘘になる。それは後ろ向きの心をひっくり返す効果もあるかもしれないのだが、人とは良い効果を自分の手柄と見做すから、たとえ実例があっても私の記憶にはない。

通院が悪いと言いたくはない。通院に害悪が包されるわけではないと考えている。しかし通院はトリガーになっている。通院することが精神状態悪化の分岐を生んでいる。

私が普段、雑談を交わす相手を欠いているからだろう、経験値の無さから来る反動性後悔だと言いたいか。違う。私の見解は違う。雑談していないのは、できないからだ。するに足る相手がいないからだ。私ほど議論に飢えた人間がいないからだ。誤解を恐れなければ、誰も暇じゃないから話し相手がいないのだ。

矛盾する建前を放ってよいのなら、これも付記する。黙っているのが美なのだ。物言わざればすなわち災い起こらざるなり。喋りたい、語りたいと欲することが過ちなのだ。口を閉ざせ、手で覆え。秘匿の生き様にはプライオリティがある。私は黙っていればいい。

そして死ね。

孤独に相対し、泣いて万歳をしろ。他人に理解を求めない決然を崇高と思いて豊麗に歩けよ。私は欠陥品たる証拠がほしい。故障原因は不明でよい。

きっと、自明に壊れている証を求めることすら黙する美に反する。引き裂かれそうだ。

枕元のナツメグに手を伸ばしたい。

嘔吐。