創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

怒り

とことん利己に向かっていいのなら、私は猫になりたい。飼い猫に。去勢だの避妊だの、有性の理から逸脱した存在へ変化できる手術を受けられる、猫になりたい。

この点が満たされるのなら、犬でもいい。

ならば私は被支配されれば叶うのか?それが私のプライドに障るだろうとわかっていて、尚も飼い猫を所望できるか?

できない。

私の詰めの甘い倫理観が、私の尊厳のゆるがせを排除する。

 

ベッドの上で爪を噛む。普段ならぐっすり寝ている時間帯、今夜は眠れなくてもいい。不快だった。身体的に、精神的に。己の有性であることを恨んで夜を更かす。

腹立たしい、腹立たしい。トイレにすら行かない意地。なんなのだ、異物の挿入が尿意の解消を阻む。タンポン死んでくれ。殺意を持つなら使わねばいいものを、しかし使った方が幾分か精神的に良い。この比較論での良いという結論は、つまり絶対善を指さない。辛うじてまだましだと言えるだけで、私の心理は周囲の人、物、構わず当たり散らして破壊して、世界を荒廃させたい暗澹を抱えている。タンポンで栓をしたごときでは収まらない。

ところで、タンポンの使用中はそれが体内にあることが感覚できないという説明を何度も確認したが、この異物感はなんだ。私の手が悪いのか。気持ち悪い。引き抜きたい。子宮もろともごっそり外に吐き出したい。月一イベントなど要らないのだ。やめろや運営、そのイベントウケ悪いから。

閑話休題。

頭髪を掻きむしってすべての毛根が死ぬのなら、それを保証されるなら、私は夜通し頭を抱えよう。翌朝髪の毛の無残に散った私の頭部を見て、凄まじい懊悩に悶えたことが周知されるなら都合がいい。他人の悩みなど自分のそれとは比較にならぬ軽さだと蔑視している他人に私の悩みを押し付ける。対外的に派手な証左を見せる以上に、他人を圧倒させ感傷的にする良策はなかろう。私は日の出までに禿を自作すればよい。

新聞配達のバイクが来た。極めてどうでもよい。きっと配達員の何某にも悩みはあろうが、私の月経嫌悪ほどではなかろうと、高を括っている。他人が自分に無関心である原因が、正に私のこの態度にあることはとうに自覚済みだが、この悪癖思考回路が止められない。自業自得の陰惨ルートを確定させたいのだろう。さっさとルートに入ってろ。

初潮が八年前頃になるから、12×8で既に百回弱のクソ出血もとい月経を経験したことになる計算だ。百回。だから? 百回繰り返せば慣れただろうとでも言いたいか。慣れねえんだわ。眠って意識を手放すのが怖くなるのにも、使い捨ての細胞の流れ出す感覚が伝わるのにも、その赤さも、その生体反応の理由にも。寝ている間にうんこやしっこが漏れる症状が自分の身に起きたと仮定してみろ。シーツが汚れる確率が異常に高くなるから寝ないのが最善手、と考えるのもさほどおかしな思考ではないだろ。寝れば被害が出るのだ。シーツや、パンツも普段手洗いしないので余計な洗い物となる。こういったものを手洗いしていると、無闇に惨めになる。ジェンダーに弄ばれ、笑われている気持ちになる。泣きたい。

感情を乱さないためにも、手洗いする物を出したくない、だから寝ない。寝ない場合、翌日は寝不足となる。周囲の人間がみなヘラヘラとして悩みもなく目先の問題に取り組んで今を全うしているように見えるのは、こういうときだ。人間が全員敵に思えてくる。誰も私ではない。私には私しかいない。アイデンティティが極上に強固になるのも、こういうときだと言えるけれど。

数ある生物学的女性性の中で、クソ出血がとりわけ私をジェンダーの前に屈服させようと努力するので、抗うためにやっていることがある。それはインターネットでその感情の原因となっている何某について検索をかけることで、手洗いの惨めさと同じ感覚で熱い涙が流れるまで、検索し通す。なんの改善もなくとも、気持ちが立て直せるだけで事態は良くなったといえる。とは言っても、クソ出血の度に悪化して、その度に立て直しを図っているのが建設的だとは、とても思えないが。

私は月例で出血するこの器官を、怪我での出血だと誤解しなければ冷静でいられない。子供を作る準備だ? 卵巣からの排卵だ? それが生物学的事実だと、わかっていないわけがない。学校でも習った。知っている。それが私をこの世界に発生させたことも事柄として理解している。だが自分の身に関することとして受け入れていない。一言も子供が欲しいと匂わせたことはないし、乳も要らぬ、毎月のハラハラ睡眠時間を体験したいと漏らした覚えもない。骨格を変えろとも、尻に肉を付けろとも、筋肉より脂肪が欲しいとも言っていない。

生物学的女性性のすべてが気に入らない。その中で最も輝いているお前、子宮活動が憎くて堪らない。殺したい。死にたい。クソ出血のことを思うと強い自殺願望が湧いてきて、自分の鬱屈を何度も簡単に確かめられる。クソ出血が来るたびに、身体的に不能にするにはどんな手があるのかググってしまう。おかげでタンポンで栓をして眠れば安心なのではと仮説できたのだが、結果として絶対の安心は得られなかったので、クソ出血は相容れません。臍のある辺りを殴って子宮が死滅するなら殴る。腹を切るのは医学的知識もなく、痛みの想像が付かない恐怖ゆえ、控えている。医者がやってくれるなら是非というところだ。

今夜、FtMを見つけた。この可能性に当たるのは初めてではなかった。なるほど、月経の該当器官を排斥したいと思ったり、それが理由で死にたいと考えたりすることはFtMの特徴として挙げられるのか。FtMは病院で診断をもらえる症例だ。私も病院で言えばいいのだ。子宮を擬人化して殺意を向けるくらいには、嫌いだと。ジェンダーがなく、子宮が男女ともに存在せず、プラナリアみたいなシンプルな造りの生き物で充足した世界になればいいと無謀を夢見るくらいには、自分に性別のあることが受け入れられないと。

隠してきたわけではなかった。相談するには突飛だと思った。相手が取り合ってくれると思えなかった。私の我慢で済ませるべき、個人の問題だと思った。強烈な拒否感情で生活リズムを破壊するくらいの好き嫌いに過ぎないと思っていた。

病院で診断を下せるほどに認知された症状ならば、言おう。あくまで私個人の好嫌以上の何者でもないと切り捨てたいなら勝手にしろ。二度とその手の相談はしないし、それに準ずる程度で悩んでいることも話さないだけだ。言いたければ言え。忌憚無き意見を述べよ。しかし感想は要らない。お前は私ではないのだから。