「面白い話がある。聞きたいか」
アオカンは二歩前を行く女の頭部を見、そこから表情が読み取れないか試した。すらりと白い顎が、一足毎に揺れている。陰になり明度の低い肌色が無闇に目に付き、顎が彼女の本体であるかのごとく凝視してしまう。グレーのレイヤーを重ねたそのパーツは、なにか誘う気配を持っていた。私は自分の顎を空へ向け、仰角の視界を捉えた。
明度が足りないな、高架下は。
彼女は他人の自由意志を問う形を偽って己がその話をしたいのだと思う。頭上でガーガーと往行の機械音がする。
「昔のことだが、一時期縄跳びを…」
私は彼女の影がかった顎を睨むようにして歩いていただけだったが、彼女は話し始めた。その顎が光から逃れられない場所に晒したいと考えながら、無意識で歩を進める。空き缶を蹴ったり、アスファルトの剥がれて出来た穴に躓づいたりして歩調が乱れるのは必至だった。そうなる度に、彼女は目だけで振り返り、舌打ちをした。前を向き直して再び語った。
「ラーメンの味は…」
主人公が縄跳びからラーメンに様変わりしているが、脈絡が読めない。話を聞いていないことを気付かれると激怒を買うかもしれないが、あまり大したことではないだろう。彼女の顎を揉みたくなってきた。クッションくらいの大きさがあれば尚の事堪能できるだろうに。
おい、と何度も呼び掛ける声は焦っていて、知らず知らずの内に私にもそれが伝播する。何か異状が起きているらしい。何があったのだ。
視界が開け、輪郭が明瞭になる。意識が覚醒していく。目覚めた、と自覚した途端に、頭を襲う痛みで顔が歪む。地球より重力の大きい惑星に来ているのか?
「…続きを話すか。ブラックレターは知っているか? あれは…」
「喉が」
私の脇に三角座りをしているらしく、彼女の膝と、顎の裏が見えた。灰色のレイヤー。首を傾けたままでいる体力もなく、真上を向く形で落ち着く。彼女は水を用意していた。しかし仰向けの人間にどのようにすれば液体を飲ませられるのかわからず、困惑している。私も共に困惑した。何もできはしないが、停止して悩み込む彼女を見ていた。
無理をして身体を起こし水を飲んだ。彼女は悪たれをついた。調子が悪いなら言えよと注意された。
「いつも…キリが悪くて」
「は? なにが」
「世界が衝突することがよくある」
「私の話を聞いている暇はないと」
「ふふ…違う」
快復してから一発食らった。言葉が足りないと睨まれた。思い返して、確かに伝わらないだろうと思ったが、微笑んで躱した。
…まあこれを躱せているとは言わないのだろうけれど。