家に梯子が無いから借りたい、と依頼されたのでその要請を受諾し梯子を貸し出した。三日後に、依頼人とは別の顔が梯子を持って訪れた。依頼人の恋人の姉だと自己紹介された。はあ、と憮然と返事を挟んで梯子を受け取った。倉庫へ戻すためにがたがたと物を退かして出来た隙間に梯子の細身を差し込む。
その後ろで、見学する価値もない片付けを見ているその姉が、訥々と話し始めた。私は倉庫の鍵を掛け、事務所の階段を登り、戸をくぐりソファを勧めた。依然として姉が会話のボールを持っていたのですべて無言で行った。飲み物を出すべきか悩んだが、私がこの場を離れるのは適当ではないし、給仕をこなせる顔をこの姉に合わせるにはいかないと合点したので今は見送ることにする。いい機があれば用意しよう。姉は文を紡ぎ続けている。
喉が渇いた。
「机は駄目だ」
「……」
黒い眼は動物のように私をじっと見た。暫くして読解が済んだのだろう、ぱっと視線が外れ、机の天板を叩いていたスプーンを椅子の背もたれへ運ぶ。自分の座る姿勢を変えて、引き続きスプーンで拍を取る。私は読みかけの岩波文庫を閉じて、ソファから腰を上げた。おやつにしよう。彼女にも一応声を掛ける。案の定、要るとの返事。私は湯沸かし器のスイッチを押し、二人分のコップを取り出す。今日はキットカットがあるはずだ。
「そのスプーンはリズムを測る用ですか?」
「前も聞かれた、それ。このスプーンははちみつ飲むためのもの。一日一杯」
「へえ。私も何か始めますかね、一日一杯」
私は液面を吹いては熱くて飲めず、机にコップを置き直すのを繰り返しながら冷めるのを待った。キットカットを噛み砕く。ラテとかいう甘いコーヒーなので、キットカットと似た味がするだろう。口の中はキットカットの後味のまま、コップを傾けて中身を啜る。まだ、熱い。彼女は手持ちのスプーン(机を叩いていたやつだ)で液を掻き混ぜている。そのスプーンで物を叩かないことを祈る。
顎を指で包んで彼女の方を見る。目が合ったのでさり気なく逸らす。思考のための気が散る。私は彼女に何度も同じ質問をしてきた。その答えが毎度受けを狙うかのように変化している。一度も同じ答えが出ない。私が記憶喪失だと考えていて、それゆえに繰り返し同じ質問に律儀に答えているのか。毎回別の答えを出すことを何らかの理由で課しているのか。彼女の認識では私からの質問は二回目以降であるらしいので、彼女の記憶喪失ということは無いと考えられそうだ。では何を隠そうとしているのか。
さて。ラテはまだ熱い。
まあスプーンの子が妹なんでしょうね。ひとつき前ほどのことだが曖昧です。2024/01/15