創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

季節感

「幹の太さを測る」

ラッパを吹きたいにんげんなのか、にんげんに吹いてもらいたいラッパなのか、小説を書いているうちにわかってくるはずだ。

 

俺を見るといつだって誰もが、俺を季節外れな生き物だと言って不思議さを隠さない表情を見せる。たしかに旬はないかもしれない。七月の蛙轢死体だとか、十月のカメムシ洗濯物混入ラッシュとか、大量発生して季節を感じさせる生き物ではないだろう。

ただ、俺を季節外れだと疑わないその目の持ち主、そっちだって季節感などないではないか。一年を通して定点の往復、暑かろうが寒かろうが活動量は平均値より逸脱することはなく、ある季節にだけ大量発生する習性もない。自覚しているのか。わかっているのか? お前に言ってるんだ、人間。

 

俺はクッキーを咀嚼しながら宿題に向かっている中学生を見ている。この人間は菓子の乾燥した硬いやつ、例えばせんべい、を口の中で吸うので、水分量の多いその音が頬の壁から聞こえてくる。噛み砕いてほしい…、クリスピーな音のほうが幾倍も快いだろう。無意識に眉をひそめていた。更に皺を深くすることにした。

菓子袋と口腔を往復する手をなんとはなしに眺めていたところ、クッキーは食べ物だという思念が過る。俺は米が一番好きだという意識が自覚的に浮上した。毎日米さえ食べられればそれなりのメンタルヘルスを維持できそうな自信がある。

中学生がクッキーをレモネードか何かで飲み込んで、全反射実験具の描かれた問題を指し示す。黄色い水が張っている。

 

下っ端の業務を与えられ、プロジェクトの全容も見えないまま、闇雲に下っ端アルバイターである。今日もそうやって七時間弱を費やす。

大局観がほしい。参謀になりたい。

ちゃんと味のする米が食いたい。海苔の佃煮、鮭のフレーク、たまに巻かない卵焼き。米さえ毎食用意できたら、米を自力で得られる力を持てたなら、俺はそのときこそ真に生きている。

アルバイターじゃいけない。下っ端ではいられない。堂々と米が食いたい。胸を張れる仕事をして、達成感もひとしおの頭脳労働から、天職と天に礼拝せずにおれない充足感を見たい。

その仕事がなにか、わからない。わからなくても、わかるのは、現状維持では死ぬまでアルバイターの危険があるということ。

勉強しろ。

 

寒い。暖房を入れている。所詮自宅警備員だと思われているのだ。格好に季節感がないゆえか、はたまた俺のオーラのせいなのか、いつ顔を出してもきょとんとした表情で、なんでここにいるのと顔面が問うているのがよくわかる。俺はラップトップのキーを叩く。背中に当たる陽の光が、窓ガラス越しにも暑いと感じる。暖房を止める。

南に面した窓、切り取られた四角の中に木が一本。

言うなれば俺は木の根本を目指している。いずれ根そのものに成り代わる。そして直に養分を吸収する。大好きなのは米。米を一番美味しく食べるために、メンタルの整調をすること。メンタルを健全に維持するために、成果を上げること。

成果主義の己に宜しく頼もう。

 

 

これは失敗作。