創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

包み紙

バイトの環境を利己に改変する不思議と対峙する。私は用意されたクッキーの型に自分を合わせられないなら、はみ出た部分を切り落とすか、この型には嵌まれないと言って辞退するかの二択だと思っていた。クッキーの型を変えてくれないかと、頼む権利があったものか。或いは資格が。単なる使い捨ての一個人に、私はここが辛いから変えてくれと頼むメリットが私以外の誰にある。情けで無能を雇い入れ、言うことを聞く限りは面倒を見ようと考えるのが道理の成り立ちを負う会社という存在が、私の快さを模索することに協力的になるか? なれるか? それはなぜ? 私に何かを見ているというのか。

改変したい環境の要因は大方掴めている。私は多対一の一の側に立つと恐怖で正常さを失い、要領を欠いた脳タリンな言動を撒き散らしてしまう。即時性を求められるととても弱い。突然指名して発表させないでくれ。授業のそれ以上に対応に困るのだ。私は報告業務が苦手だ。テンプレートを用意してくれたらそれに記すから、不意打ちで現状報告を求めるな。

怖いんだよ。麻袋を被せられ視界が閉じている中で、頭上から降り注ぐ複数の声。叩かれることを実際にそうなる前から確信して涙を流し、叩かれてもいない肌に痣が浮かび上がってくる程の激しい被害を妄想するような、そんな、威圧感が複数の人間の声にはある。同時に喋らないでほしい。私の責任を、同時多発的に問わないでほしい。誤っているなら直すから、総括して誰か一人がひとつの音声で伝えてほしい。リンチをイメージしてしまう。本物のそれはこの比じゃないと理屈ではわかっている。よい例えが浮かばないゆえの挫折。私の語彙が不足している。未熟、途上、勉強不足。

足りない、まだ足りない、足りる日が来ない。私が無能を脱する日は来ない。なぜなら私が私を無能だと思わなくなる日が来ないからだ。無能はいつだって下っ端。とかげのしっぽ。そのロングテールの先に辛うじてしがみつく細胞の一つであるがいいさ。もはや自己管理に自信を持つことすら出来なくなって、勤怠を支配されたい奴隷根性。身体が持たないことがわかるまで、心が全身を動員して拒絶するまで、誰かのイエスマンでいて思考停止に酔う憧憬。将来性を感じない。そんな将来に生きたくない。

死にたい。

死なない、にしても死を紛らす楽しみがない。十年後が見えない。今日の生き方がわからない。理想の自分を見るために必要な体力が残っていない。いや敢えて残していない。何をやっても楽しくない。これがやりたい、あれになりたいと語るコストの貯金がない。夢を見る余力がない。夢破れたこどもの姿だと? だれが私の夢を破ったのか。悲観を肴にしてジンをかっ食らえと思い付くよう仕組んだのはだれか。風采の上がらない昨日を続けることを努力しろというのはだれか。

明日生きているのは誰なのか。

私は何かの裏を見ている気がしてならない。こんなことに精神を体をすり減らし絶望して死を見遣るのは馬鹿馬鹿しいと思いながら、何かの裏側ばかりを見ている。同じロゴが定幅で繰り返されるのを見て、その単調に嫌気が差し目を潰すような生き方をしているのではないか。裏を返せば色彩が踊る写真の面が広がることを知らず。

わからない。世界が見えない。