創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

落ち葉踏む森

僕は汗をぼたぼた流して走っていた。夏休みが明けて、九月。夏の盛りは過ぎたけれど、日中はまだまだ暑い。体を動かせば、なおさらのこと。すぐにカッターシャツが肌に張り付く。教科書やノートを詰めた学生鞄を背負った背中は蒸し暑く、その重量感もあって苦しい。急いて動かす足がだんだん重くなる。

もう約束には遅刻している!

喉が痛い。運動不足がたたって動けぬ体がもどかしい。僕は水筒の麦茶を一口含み、まだ整わぬ息で走り出す。

 

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!約束を守れないでごめんなさい!あなたを裏切った!」

どうにも僕は思い切りが悪いらしく、森の入り口まで辿り着き、奥にその姿を見つけた途端に内心で激しく謝罪した。一言も声は出なかった。森はいつも直射日光が差さないから快適だよと言って目を細め、思い切って住んじゃえばと珍しく冗談をかまされたこともあるその相手に、言わねばならない。約束を反故にしたことを。言い訳は見苦しいが、故意のそれではないことを。

静かに歩きたかった。足音を聞かれて振り向かれると気不味いと思った。枯れ葉がそれを許さなかった。

「あ、来た」

僕は答えに窮する。予想通り、喉が詰まって、さらには頭が真っ白になった。ただ、これだけは。謝らなければ。

ごめんなさいと言うと、僕の声はかぼそくて酷く醜くてとても恥ずかしい。穴を掘って今の声を埋めたいと思った。相手は僕の声をいつもの如くきちんと聞いていて、眠くて開かないのだと彼自身が解釈する瞼の下から眼を向ける。僕を見て、もう一品追加かな、と言う。何の感情も猛っていない穏やかな目だった。今日もまたゾッとした。

彼は自分の住居に入るよう僕に勧めるので、お辞儀をして玄関をくぐる。来客がひとり居るだけで埋まってしまうスペースに靴を脱ぎ、背中の鞄を下ろして洗面台へ向かう。彼は手を洗うことをやたら大切にしている。僕は園児のころを思い出す気持ちで、蛇口をひねる。

今日は僕の通う学校では定期テストの当日で、明日までの二日間は午前中の内に下校の予定となっているのだった。そこに合わせて、一緒に昼を食べようと誘われた。これが、僕が守れなかった約束。言い訳はしない方が潔いけれど、もしも言わせてもらえるのなら。図書館で過ごしていたら昼時を逃していたのだ。つまり約束が頭からすっぽ抜けていた。情けない。やるせない。

「昼食べた?」

「えっと、食べてないです」

もし約束を忘れた上に自分だけ昼を済ませていたら、僕はどうしただろう。顔を合わせられないと考えるだろうことは容易に想像が付く。そして、謝りに、行く…。行くだろう。じゃあ今の状況と同じだ。

「腹減ってる?」

「減ってます減ってます」

「ふ、疑ってねーから」

彼は流し台に向かって何やら作業をしている。野菜を切ったり炒めたりしているのだろうか。手を洗い、うがいを済ませた僕はキッチンではなく調理場(彼がそう呼べと言う)へ近寄る。

白ご飯。

しかない。

淡白な表情からは主食以外に何の彩りもない膳を良いと思っているのか悪いと思っているのか、はたまた関心の範疇ではないのか、読み取れない。

「あっ」

僕は不意に思い出して、急いでハンカチをスラックスのポケットに押し込んだ。彼の肩が驚きで跳ねたので謝罪を口にする。さっきよりちゃんとした声が出た。

「僕が副菜担当だったの忘れてた」

「くっ、ふふふ」

今たぶん、こいつ何でも忘れるな…って思われている。楽しそうに笑われている。複雑な気持ちだ。

僕は教科書の隙間からインスタント味噌汁の小袋を探し出し、彼にお湯を沸かすよう頼んだ。言われる前にやっておきましたと間延びした声でおちゃらけて、片手鍋に煮えた湯を指し示す。

 

そんなこんなで簡素な一汁一飯が整った。前回開封してから減っているようには見えない海苔の佃煮を白ご飯の上に乗せる。彼も同じように盛っている。今尋ねたら、いつかも答えたように同じことを繰り返すのだろう。自分ひとりだと特別なもん食う気にはなれないからね、と。

「これの次はまた別のおすすめ持ってきてね。こっち味覚が未熟だからさ、碌なもん選べないんで」

見かけはほとんど青年からドロップアウトしたような姿なのだが、まるで生まれたてであるかのごとき設定を振る舞う。まるで、流暢にしゃべる赤子。さほど違和感のない例えであることに沈思する。僕は恐らく、彼を森の妖精かそれに準ずる神秘的な存在だと捉えている節がある。人間の振りをしている妖精と飯をつつく。海苔の佃煮は、あと一回分、ふたりで分けても十分に食べられるくらい残っている。

 

「いやあ、こればかりは責任感じます。何も知らずにやっちゃったとはいえね…ごめんね」

「もうその件はいいです。あれからどんどん忘れっぽくなって、挙句こんな異世界じみたものが見えるようになったことに関して負い目感じていろいろ試してた誠意を評価します」

「ん、言ってなかったっけ、もう君人間じゃなくなってんだよ」

「そうですか…やっと明言してくれやがりましたね感謝します」

彼は冷や汗を垂らして顔を引きつらせる。降参の印に両手の平を上げて、わざわざ僕より高い背を低くしてまで上目遣いに問う。「ええと…その、人間に戻れるかどうかは全然わからなくて…。戻りたい、よね」

「……」

おすすめのご飯のお供を持ってくるなら手を打つ、と出来るだけ冷ややかに言い下す。気を抜くとにやけ顔になってしまいそうだった。彼は一瞬きょとんとした後、意味ありげに鼻を鳴らして背筋を元の通りに伸ばした。そして僕の肩を抱いて二三度ぽんぽんとやって、気障ったらしい歩みで去っていった。枯れ葉を鳴らす足音が鳴って遠ざかる。