創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

花火

今夜は花火の上がる日だった。僕は努めて冷静であることを何度も自分にいい聞かせ、階段を踏みしめた。階段を登る足音、ドアノブを下げる力加減、ドアを開ける勢い、閉じるときの音、ドアノブからの手の離し方、すべてに意識を払って、冷静を装う。

外は喧しく、つまりそれが僕の平静を乱していた。

のべつ幕無しに客寄せの声を張り上げる子供の声。甲高いそれが絶え間なく耳に入るにつれ、僕の苛立ちは増していく。去年は嫌気が差して、家を飛び出し、花火の打ち上げが終わるまで山の向こうへ息を潜めて時間を潰していた。今年は自室という保安の場所を譲らないで過ごそうと思う。意地を張って、耐え忍ぶことを守備という。

 

イヤホンを両耳に突っ込んで、重低音強化の音楽を聞きながら日記を書いた。花火大会という純和風のイベントの日に、シオカラ節を聞いた。無関心を装って、その一心は祭りごとに寄っているのではないか?日記の上で、嘲笑の文脈が連なってゆく。

午後九時を回ってから、海に面した窓を開放する。闇よりも白い煙が地を這ってくゆっている。髑髏のような黒い穴がふたつ、花火の残滓にぽっかりと開いて僕らを見下ろしている。敢えて自室に引き篭もった僕のことも黒々と抉れた眼窩が見ている。

 

傍へ寄るだけで、片付けの雰囲気が伝わってきたのですごすごと引き返した。子供が叫び販促していた焼きそばのキッチンカーで、遅ればせながら花火大会に乗っかってみようとしたのだった。まあ、どちらでも良かった。買えようと買えまいと、僕が焼きそばを買うつもりで自室を出たのは事実だった。