創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

明日は山へ行こうと思う。玄関から正面の、黒い緑の塊の。

そう、人間から離れたいだけ。山を、それを構成する一本一本の植物を見て恍惚を覚えるためではないし、その環境に必ずいる虫というやつは触れないくらいには苦手だ。山が好きだから行くのでは、ないのだ。
もうしばらく、自分の会話のかっこには、声が吹き込まれていない。
「」
自分以外の何者かに聞かせるための声を、喉を震わせる基本動作を怠っている。いっそ声の出ない個体になればいいとまで思うが、どちらかを選ぶならノックして芯の出るシャーペンが求められるだろう。自分もそれに異論はない。
 
選ぶ余裕や、選ぶ資格、権利といった余地がはたして残されているのだろうか。人間はその思考可能により、しばしば夢想を迸らせて現実を忘れてしまう。今の自分はそれではないのか。傲慢。自分のためのかぎかっこが設けられていると、思って疑わない。喉を震わす力を、取捨する段に意見の聴取があると、当然に考えている。
 
至って仕方がなく、哲学したい気分の時にだけ引き出せばいい思考を基準に行動しようとする。行動の前準備と呼ばわって顎に手をやる。それがもたらすのは何だ、不毛を作るための散布材じゃないのか。
抑鬱へ向く足先をせめて緩慢に変えるのが、漫才の屑みたいな会話だった。いつでもそうやってコメディをやってきたつもりなのだ。自分の輪郭をはみ出しはしないとはいえ、たったひとり、自分自身の気を紛らせていた。それはきっとそうに違いなく、そうだった。
 
行動し続ければそれが唯一の条件となって、私を精神的に軽やかな存在に転じる存在が出現すると信じていた。これまで、その条件が満たされていた。満たされていたと判じたのは早計だったか、あるいは勘違い。
 
 
ボツ