不満なき生など謳歌するに足らぬ欠陥品なのだ。不満のあることを褒めよ、誇れよ、昂じ商えよ。
いやになっているのです。嫌なのです。嫌気が堪りません。じりじりとしながらスマホの熱くなるまでネットをサーフィン、どうでもいいと判明した概念のBLをいくつも茫然と周回し、皿でも割りたい気分を叫びに表すこともできない喉の脆弱を祟りつつまたネットをサーフィン。イヤホンが爆発する大音量で私をぶちころしてくれ。
先生がほしい。私に本を示してくれる存在。感想文でも哲学の未熟でも晒すから、実りのある話をさせてほしい。
不満、なんということだろう、「察せ察せ」と睨めつけてお前は一切努力をしていない。話し相手がほしいなら、私が誰かの話し相手に相応しいと思わせるだけの知性、寛容、親愛を含んだ目で相手を見つめるしかない。それしかない。
ならば、私に作れる話し相手は架空です。私自身を相手として話す以外に、手段を取りたくないだけですが。
せいぜい他人とのセッションなど無意味であります。相手が金を貰ってやっているから成立しているだけの危うい信頼で、趣味もお互いに合っていない、否、相手の趣味を私が知らないでいる、そんなカウンセリングにどんな効能がありましょう。私が語るのは戯言以外になにもない、小一時間のカウンセリングがもたらすのは無為の腹立たしさであります。こんなもの、続けていたって精神の快復や小康には繋がりそうもない、悪くなることはあれど、という風に考えてしまうのです。
糞食らえ、自分。
一回さっさと死んでくれ