創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

父子

2023/05/05

臆病者

だんだんだん、と激しく戸を叩いてしまってから、遅れて自重の意に駆られる。Iはひとり戸の前に立ち尽くして顔を歪めた。部屋の中からの応答は無い。中に居るのは間違いないのだが。

Iは飽くまで強気を通して、声を張る。

「小説を、書こうと思う」

 

木目を初めて気にしながら、じっと立っていた。膝の裏が痛くなってきた。しゃがもうか。Iが拳をぶつけたくなるのを堪えて、目前の戸に張り付くのを、Yの妹のSが遠巻きに横切る。Yも戸の向こうで、そういう目をしているのか。玄関にセールスが来たときのような。早く帰ってくれと窓から伺う気持ちなのか。

 

Iは階下へ引き上げて、テーブルに項垂れた。コミュニケーションに失敗した気がする。手応えがなかった。どうしたらいいんだろうと呟く。独り言のふりをした相談だった。そのことを察すると、Iの妻はミキサーに緑の葉の大小様々なのを押し込む顔を上げないままに、一言、やれと言った。

やれ。

小説を書け。

Iは弱った態度を止めた。弱ったふりをしていたかもしれない。ふりだったとしても、その演技も止めることにしただろう。妻は怖かった。こと、努力と呼ぶようなものを怠る時には。

 

 

自白

Iは、娘であるYの部屋の唯一の出入り口である開き戸を見据えて、淡々と鉛筆を構える。ノートには下敷きを挟んで、手元で紙が歪むのを極力抑える。Iは四柱の椅子だけを自室から持ち出して廊下に置いた。正面にYの部屋が位置している。背もたれに半身をもたれかけながら、下敷きをはじく。芳しいアイデアはない。Yが小学生の時にストーブの前でぐにゃぐにゃにした下敷きを使っていた。Yのための小説を書くから、という義理ではなかった。が、ふいに見つけたそれはIに遂行の使命を感じさせた。

 

邪魔、とつっけんどんな言葉が放られ、Iは我に返る。この頃、Sはやや気難しい様子だった。学校で購入した美術セットなるものを肩に掛けている。階段の最後の一段を登りきれないで足止めを食っているらしかった。Iの椅子が廊下を塞いでいた。

お互いに背中を壁に擦らせてすれ違う。Sは苛立たしげに目を伏せたように見えた。咄嗟に、ごめんなと思う。進行方向で邪魔になることをして。廊下は自分の占有地じゃない。そうだった。

「別に。そんなんで書けるなら幾らでも座っとけば」

Sは一旦廊下の角に消えると、とんぼ返りの速さで戻ってくる。出掛けるらしい。膨らんだナップザックを背負うSと再び壁を擦りながらすれ違う。未だ顰めた顔は変わっていなかったが、虫の居所が悪いわけではないようだった。二つ折りの白い紙をIに渡すと、何か言いたげに、しかし結局うまく言葉を見つけられずに、首を傾げてから去っていった。足音が遠のき、玄関の戸が閉まる音。そして、窓の外に、自転車で乗り出す頭が見えた。

 

 

コンタクト

小説のこれといった書き方はわからなかった。だから日記を書いている気がして頭を悩ませたし、Yもきっと読みながらこれは日記の域を出ない散文だと感じただろう。

Yは現在の自分には誰を楽しませる小説も書けないと言った。何を書こうとしてもつまらなく感じて手が止まると。Sにあの時手渡された紙に書いてあった。真っ白なコピー用紙。裏紙ばかりを好んで収集していたYはどこかへ行方をくらましたのだろうか。

Iは戸の木目の流線を横目でなぞる。今度は心を鎮静して、人差し指の背で戸を叩く。こんこん。

中から声は聞こえない。でもそこに居る。ずっと居るのだ。身動ぎの音ひとつすら、漏れ聞こえてしまうのを恐れるこのYに、Iは小説を捧げようとした。

捧げる、与える、そんな強圧的な行為ではなかった。うんと下手のそれだった。

Iは言った。Yは自分より小説を知っているはずだ。いつぞやはあんなに熱心に語っていた。

「Y、小説は難しいな。書くのは尚更に」

ご教授願えませんか。物書きの先輩。目線は木目を下方へなぞって降りていく。俯いた姿勢がため息を誘う。戸の向こうは呆れるほど静かで、立ち尽くす目的の薄らぐに任せて、Iはその部屋に背を向けた。踵を返す。

後輩よ。

「小説は、自由だ」

はっとして耳に神経を集中する。Iは聞いた。Yを聞いた。Yの声を聞いた。

 

その後、Yが自身の言葉から小説への自信を取り戻し、また言葉を紡ぐようになるのは別の話である。Iは偶にYに指摘を仰いだり、互いの観念を交わすようになる。

 

自転車を押して帰ってきたSが、手を洗いながらやれやれと頭を振るった。彼女が母を顧みて、口の端で笑う。母も穏やかに目を細めて、勝ち気な笑みを見せた。

 

I︰いちご大福

Y︰よもぎ

S︰桜餅

(K︰柏餅)