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なぜか万里さんの機嫌が悪い。 今朝一番には笑っておはよと言われたから、 その後の何かが原因でこうなっているのだろうと予想がつく。 俺は普段自分から話しかけることがほぼゼロだが、 今日は人生史に残るレベルで話しかけた。万里さんにだ。
何度も何度も名前を呼んで、他愛ない話題を振ってみて、 思ったのは、無視されるってかなり応えるということ。 俺は今後の振る舞いを見直さなきゃ駄目かなと反省する。
「なあ、万里さん怒ってる?」
「別に、怒ってねぇけど」
「…そすか」
俺が頑張って目を見て話しても、相手はふいと目線を外すし、 口では怒っていないと言うが、 態度とオーラと口調のふてぶてしさが示しているのは怒りだ。 十中八九怒っている。のはわかる。
しかし原因が特定できない。
「なんで怒ってるんすか」
「だから、怒ってねぇって」
ほんの一瞥をくれて、万里さんは席を立った。 呆れたような息をついて部屋を出ていく背中が、 なぜか俺に非があると主張しているように見えてしまう。 なにかやらかしたのか、俺は?
「…」
日が、暮れてしまった。 結局万里さんを怒らせた何かを突き止められないまま、 夕食も入浴も済んで、いよいよ就寝時刻を待つのみとなった。
午前中はあからさまに無視を決め込まれたものの、 時間の経過とともに徐々に機嫌が直ったのか、 会話はできるようにまで回復した。 まだいつもの感じではないけど、 朝の険悪ムード全開と比べたら格段に良くなった。
なんとなく始めて、今では日課になった散歩。 日の落ちた道を歩きながら、 黙るとも話すともつかない調子で言葉を交わす。 なんとなく夜空を見上げると、 薄くぼんやりとした雲が広がっている。月は無く、 雲に覆われていない星がいくつか視認できるのみ。 不躾な街灯が行く先を照らしていた。
「そういえばさ、朝」
「あさ」
「お前、俺にデザートいるか?って訊かなかったろ」
「…あー…」
いまいち話が読めなくて、 万里さんの横顔から何かヒントが得られやしないかと見てみる。 わからない。顔に文字が書いてあればいいのに。
「俺にも言ってくれたらさ、要るとか要らないとか答えたぜ」
「…でもあの時万里さん食い始めだっただろ」
「そーゆー問題じゃねぇんだよ…」
万里さんが、だはーとため息をついて立ち止まるから、 歩いていた俺は三歩分先で慌てて振り返った。どうかしたのか、 とは聞けなくて( どうかしたからだとわかっているから聞くと野暮になる)、 黙っていた。すると、俺との間の三歩を、 大股一歩半で詰められて、肩に腕を回される。 ぐっと顔が近くなって、しかし組まれた腕から逃げられない。 惰性で歩きながら、耳元で呟かれる。
「…ハブられたみたいで寂しかったんだよ」
え、と思わず声が出る。頭がぐるぐるしてくる。 どう反応すべきか、どんな言葉を発するべきか、 マニュアルが無い。わからない。制御の効かない脳ミソが、 勝手に喋る、動く。
我に返ると俺はずんずんと歩いて来た道を戻っていた。 右手は万里さんの手首を掴み、引っ張っている。 驚きながら付いてくる彼に、俺は言う。
「雪見だいふくの新しい味…出てたから、一個、…やるよ」
「へぇ、何味?」
「宇治抹茶タルト」
「タルト要素の必要性って」
「俺は知らねぇ」
万里さんはケラケラと笑う。 俺はそんな余裕が無いから帰路を急ぐ。気付けば、 後ろ手に引いていたはずなのに、横に並ばれている。 万里さんの手首を掴んでいる俺の手が、 不自然を見つけられないうちに剥がされる。 空いた手の指の隙間に入り込むのは長い指。 決して痛くはないけどしかと握られていて、 離すつもりがないことが察せる。 仕方ないから振りほどくのもやめておいた。 手を繋いでいて嬉しかったとか、そういうんじゃない。
「あれ、照れモード?」
「は、なわけねーだろ!雪見だいふくひとりで食うからな!」
「俺はお前が食ってるの見てるだけでも満足だし、いーよ」
「……」
ちなみに、雪見だいふくは冷凍庫に無かった。 確かに買って仕舞ったから、誰かに食われたのは間違いなかった。 大体見当は付く。また買ってきて今度食おうと提案したら、 苛ついた様子で呪怨の言葉を唱えていた万里さんが矢鱈と喜んだ。 引くほど機嫌が良くなったから、 また原因がよくわからなくて困る。
一緒に食ったのは約束だったから。 悪くない気分だったのは約束を果たせたから。
…だけじゃないよな、そんな気がする。上手く言えそうにないし、 あんま言いたくないけど。
約束無しでも誘えば乗ってくれるだろうか。… そうなら今度は一番に、声をかけてみようか。なんて。