「ちょっと電話出ていい?」
ピピピ、 と甲高い電子音を上げる端末をジャケットの裏地のポケットから取 り出して見せる。一目瞭然に迷惑そうな、嫌そうな顔をしていた。
「不都合じゃなければここで出てもいいぞ」
俺がそう言って促すと、弱く頷いて大きなため息を吐いてから、 壁に相対して電話に出た。 ここは私的な通話のためにそれ用の場を設けているわけではないの で、緊急を要する時の通話内容なんてものは周囲にダダ漏れる。 しかし、唯一穴場と化しているのが、俺の居るこの一室である。 一応この団体が、議員とそれを支える者で構成されている所以で、 俺一人に個室が充てがわれた。もしかすると、 俺という人間を隔離した方が業務が円滑に進むのかもしれない、 と思い至ったのはつい数日前のことである。 キャラがブレすぎて異質物扱いされていたとの指摘は、 どうやらかなり的を得ているようである。そしてその指摘は、 彼から受けたものだ。
通話中の背中を見る。
「うるせぇ、無期限活動休止宣言の否定権はねぇよ!」
怒号に暴風の演出まで発生しそうな勢いで捲し立て、(恐らく) 一方的に通話を終了させている。 憎々しげに二つ折りの携帯端末を手中で弄んでいたが、 無造作に放り投げると、 彼自身もまた無造作にソファーに飛び込んだ。
うつ伏せになって喉からぐるぐると唸り声みたいなものを出してい る。きっと苛々しているのだろう。真新しい姿が興味深く、 じっと眺めている内に、ちょっとした欲が湧いて出た。
「君っていつも素じゃないよね」
「…議員さん、またキャラ演じちゃって」
気恥ずかしいとすぐその変な口調になるよね、 とうつ伏せの腕の中からもごもごと揚げ足を取る。 誰かの名前を呼ぶのが苦手なのは確かだから何も言い返せない。 無視して話を続行する。
「君は、いつも演じている」
「だからもう、キミキミってぇ」
「俺が素を見せたんだから、見せてくれたっていいだろ! 等価交換だッ」
わっと早口で言ってしまって、 何やら名前を呼ぶより気恥ずかしい思いに駆られた。ええい、 この際だ、ぶちかませ。
「見せないなら、君ッ、オカンキャラで名が通るぞッ!」
「オカン!?」
オカンは違う…とか何とか言って、 顔を伏せて数分程もごもごやっていたが、 意を決したような表情で体を起こすと、ソファーに居直った。 何とも言えぬ緊迫感が漂い始め、 茶化すべきかどうか決めあぐねる。
「俺はさ、人間観察が好きなんだ。傍観者だよ。 だから人と関わる時にどうしたらいいのかわからない。 演者じみてるのはそのせいだね」
「うん…じゃあ俺にオカンなのは仕方ないな」
ひとつ点頭。デフォルトで演技に入ってしまうのなら、 これも聞いてもらえるのではなかろうか。ものは試し。 姿勢を正して、相手を正面から見据え、真剣な眼差しを―。
「ドS対応も、してもらえるか?」
「は?」
「侵入してきたときみたいな、口の悪い…君、 見せてもらえるかね」
喋りながら恥ずかしくなって、 言い終えた時には視点が自分の靴の先に落っこちていた。 肌の感覚のある所が全て熱くなって、 顔なんか上せたみたいにぽっぽと赤くなっていただろう。 SMプレイを所望しているのと相違ない錯覚に陥って、 俺は特別被虐嗜好を求めているというのでは断じてないのだが、 まさかMなのかと疑い…一種の期待さえ見る有様だった。
とんでもないことを頼んでしまったと猛省する中、 彼は喉の奥で笑いを湿らせて、 項垂れる俺の隣にスッと入り込んだ。
「…んむ!?」
俯いていたはずの顔は上を向き、 影のかかった暗い瞳で見下ろす彼を間近に見ていた。 脳が現状把握に追いつくまでに、ラグがあった。 頬を掴まれている。驚きと、思いの外強い握力と、 僅かに混ざる恐怖で息もできない思いがした。 生唾を飲むことさえままならず、がちがちに固まって動けない。 沈黙の音が聞こえそうだった。緊迫した均衡状態に思えた。
「ド天然。バーカ」
やや破顔してそんなことを言う。罵られたと気付いたときには、 顎は解放され、 彼は顔を背けてくくくと静かに笑いを噛み殺していた。 心臓がやけに活発だ。どかどかと流れる血を明確に感知して、 把握までしてしまいそうだ。
俺は両手で顔を覆った。
「キュンとしちゃったよぉ!うわぁぁあん」
どうしよう、まさかまじでMを発現したら。手に負えない!