創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

池のうえ行け

丸太が池の上を渡っているから、平均台を歩く要領でバランスを取って、水面に映る自分の影を見下ろしたりなんかしていた。丸太は端で重ねて太い釘を貫かれている。階段状になった橋を歩く。

池の外周の別なところへ降りるだけの橋が、どれだけ意義あるものだか不明である。移動だけなら池の淵を歩けばよいのだから。水没のリスクを背負って丸太の上でやじろべえをするのは人間の悪い癖が出た証左としか思えない。リスキーにファニーを感じる悪い癖。それがペイン。

それで、なんということも無いのだが、水上で立ち止まって、夢想で作り出したピラニアに体を食わせる未来を見ている。池は塗りたくったような緑で、とろみがありそうに見えるのが生理的抵抗感を催す。水中で自分は藻掻くつもりがあるのか。だから風呂やプールと全く異質な感触の液体に身を沈めたくないというのか。ピラニアが食ってくれるなら泳ごうが暴れようが結末は同じなのに。片栗粉の溶けた池であることは飛び込まない理由にはならない。

入るんだよ、水中に牙が無くとも、ただの水でも。入るんだよ。

 

飛び込めば、肌のあらゆる箇所から池の成分が体内に浸透してくる錯覚に陥る。極めて不快である。嫌になる。開いてはいなかった口を今一度閉じ、手の平で透かすと緑には見えない緑の水を撫でながら、注ぐ陽光を睨む。

 

アスファルトを濡らして歩いた。汗をかいた時と同じように、自分の体臭が気になるように思う。あまり取り留めがない。どうでもよかった。書く必要はなかった。

天性的アナーキズムがペシミズムと共謀して、とても楽しそうに私を見て肩を組んでいる。花いちもんめをやり出しそうな佇まい、私の側はひとりだが?

どうして、どうしてモノローグで文章が終始してしまうのだろう。野望は大騒ぎして森を探索して回る複数人の掛け合いとアクティブな描写だったのに。なんなのだろう、なんだろう、私は私を消したくないのだろうか。自己主張。自己主張、止められない自己顕示か、そうか。はやく人間を、脱けたい。