創作に人生さきとう思うんだ

二次創作ばっかしていたい。

読書 露仗

日本三大奇書の一、夢野久作ドグラ・マグラ』を読み始めた露
 
「なあ、77ページの後ろから二行目読んでみろよ」
露伴はだらしなく床にごろ寝している仗助を見つけた。ソファにだれるなと言ったらこれだ。恐らく拗ねていると思われる。やり口がまるで幼児。不貞てポテチを食べこぼしながら横臥されたら家から追い出すが、まだその域には達さない。残念なような、安心するような。
さて、ずいと本を差し出してみる。視界に入るように、確かに。仗助は緩慢と首を上げた。ばた、と仰向けに倒れる。横向きの姿勢からバランスを取るための腕を取り払ったせいらしい。本を恭しく両手で受け取り、腹も足も投げ出した仰向けで表紙を捲る。ほんの僅かに題を見遣ったようだが、何と書いてあったか覚える気は無さそうだった。お前にも読めるはずの日本語なんだがな。
「ええと、67ページ?」
「77だ、脳が動いてないようだな。起こしてやろうか」
「丁重にお断りするっす」
僕が構えた踏襲の想定被害範囲から逃れてくるりと半身を向こうへ回した仗助が、せせこましくページを繰っている。体格が規格外のせいで比較する文庫本が小さく見えて滑稽だ。
と、仗助が低い声で呻く。げっ、と言って本と両目に距離を取る。ピントが合わない仕草のようだ。眼鏡か、或いは虫眼鏡でも貸し出してやろうかと見下ろす。まあ冗談だ。こんな提案、口にすれば暴行不可避なので黙っておく。仗助は沸点が低い。
「見つけたかー?」
「77ページ、そんで…」
「後ろから二行目」
そして呼気。僕は敢えて口を噤んだ。ネタバラシは積極的にするもんじゃあない。面白いものは自分で見つけてこそ、それそのものと向かい合える。だから自分より活字慣れしていなくて、故に活字を追うのが下手で、時間が掛かっても、待っていた。
ん、と仗助が閃いた。まずもって見られない真剣な面差し。「その態度で勉強に励めば文句無いのに」と野次が飛ぶやつである。仗助はぎりぎりと本の中の一点を睨んで、ふと呼吸のために浮上するダイバーみたいに僕を見た。ようやく気付いたらしいな。
るの転倒。縦書きの文字群にあって唯一右九十度に傾いた「る」。誤植だと、この本の謳い文句を知らぬ仗助は判断するだろう。
「ふふふ…」
本を読まない人間に、残念などと遺憾をぶつけるほど慈愛は無いが、自覚無く損をしている彼らが哀れに見えてくる。ことがある。今日もそう。あの転倒した平仮名が出現する本はただの活字の連なりで出来てはいない。数ある小説の星のように瞬く界隈で、奇怪なる煌めきと炎色を見せ、日本の国の中で三本指に含まれたほどの作品である。上から数えて三大奇書読めば一度は精神に異常を来すという最高に怖いもの見たさを誘起して已まぬ作なのだ。それを予備知識に持つと持たぬでは解釈が変わってしまう。本当に、哀れ。
露伴これ全部読んだ?」
「まだ途中だ。しおりの位置、変えるなよ」
「んー、じゃ、読んだら貸して」
間。仗助がきょとんとして僕の顔を見て、それから可笑しそうに吹き出す。間抜け面、そう呟くと細かに肩を揺らして一人楽しんでいやがる。こいつは何をわかったのだ。僕の諒解せざる事情。なんなんだ。
カバーの折り返しに奇書だのなんだの怪しいこと書いてあるのが気になるからよ、この印刷ミスもわざとかも」
って思ってな。だそうだ。仗助はなぞなぞを解いたような晴れがましい顔をして仄かに笑った。きゅっと口許を弧にする程度の微笑。露伴は呆気に取られた。膝の力が抜ける。ごすんと床に膝を付くが痛みも気にならない。
「はあぁ…」
「え、俺失望されてんの?」
感服だった。こいつ読めないなあ、食えないなあ、名も無く怒りが湧いてくるほど飛んでもなく面白いなあ。長い長い感動のため息を放ち切ると、露伴は本を引ったくって部屋に舞い戻る。すぐに読了して読ませてやる意気が漲っていた。